ソフトバンクのロボット、pepperの一般販売が始まりましたね。
近年、量子コンピュータやAIに使われる機械学習のひとつであるディープランニングなど、ロボットとAI(Artificial Intelligence:人工知能)に関わる研究開発がすごい勢いで進んでいます。このまま研究開発が進むと、今から30年後の2045年前後には人間に匹敵する能力を持ち、ロボットが人間の代わりに働くようになると言われています。
そこで、30年後の未来に人間の仕事はどうなるか予想してみたいと思います。
まずは未来の予想について私が体験した話をします。1970年代で小学生のとき、学習雑誌か漫画雑誌に掲載されていたか忘れてしまいましたが、21世紀の生活を予想した漫画があり、すごく説得力があったので内容だけは良く覚えています。さらに、大人になり、21世紀になってから15年過ぎた現在、その予想が当たっていたので深く腹に落ちました。
当時の未来予想の大半は、服は宇宙服のような機能的なものになり、食事がサプリメントでよく見るタブレットや宇宙食のような簡素だけど栄養がきちんと取れるというものでした。
しかしながら私が読んだ漫画は、科学が発達して宇宙に行ったりできるけれど、食生活は今までと変わらずに美味しさを追求していろいろな料理を食べるという内容で、家族で美味しそうに食事をするシーンで「これだけは変えられない」といったセリフがあったのが印象的でした。
21世紀になった今、本当にそうなっているので思い返すたびにその漫画の先見性を実感しています。少し補足すると、食生活と同様にファッションなども宇宙服みたいなものや機能を重視しただけのものにはなっていませんよね。
ここから気づいたのは、「いくら時代が過ぎても人の欲は変わらない」ということです。
経済は需要と供給によって成り立っていますが、経済学的に需要とは「人の欲」だそうです。需要にもとづいて製品やサービスを供給する活動が仕事ですから、人の欲に沿って予想すればどうなるか大体わかるのではないかと考えています。
結論から言うと、私は「人にやってほしい仕事は人がやる」と予想しています。具体的な例としてわかりやすいのは、バーのマスターやカウンセラー、保育士など、曖昧ではありますが私たちが人のぬくもりや心で接して欲しいと思う接客サービスや人に接する仕事です。
私はコーチングを行っているので受けることを考えてみると、今は珍しいのでロボットからも受けてみたいと思うけど、将来ロボットがコーチングを行うことが当たり前になったら、やっぱりロボットより人から受けたい気持ちが強いです。
一歩進んで考えると、こういった接客サービスをロボットが行うことによってコストが安くなる場合、人が接客する質の高いサービスは高級なものとなりそうです。現に一流ホテルなどは既にそうなっていますね。
また、芸術や創作の分野も人が関わり続けると思っています。感性などは主観的な部分が多く、トレースは簡単でもオリジナルの作品を生み出すのは難しいのではないでしょうか。
例えばピカソ風の絵は描くことはできても、果たしてピカソが本当にその絵を描くかどうかいったところです。
もしパラメータを調整することで、独自の審美眼や感性を備えた芸術用AIが生み出せるようになった場合でも、経済には稀少性も関わっていて、量産できたら安くなって価値が損なわれるリスクがあるので、このような面からも芸術や創作活動は人が携わるのではないかと考えています。
話は変わりますが、最近はアニメでも随分CG化が進んできていて、ロボットや機械の描写はCGで構わないと思っていますが、ロボットでさえ人が描いた作画のほうが味があるのと、動きが格好良くて自然な感じがします。アニメ製作は人件費が少なすぎる問題があるので、それこそロボットが描いて人の負担を軽くしたほうがいいと思っていますけど。
もうひとつ、ロボットの使いどころの判断基準は、ひたすら正確性を重視するか、曖昧だけど人間味があることを重視するか、それに加えてコストのバランスになってくるのではないかと考えています。正確性を重視する場合の例としては、医療で膨大なデータに基づいて適切な診断を下して、診療方針を決める役割などが考えられます。反対に人間味については、先ほど述べた接客サービスや芸術などが挙げられます。
将来、演算性能はそのままに、創造性や芸術的な感性も持ちあわせて感情や曖昧性もある人間らしいAIやロボットが現れたらどうなるかわかりませんが、そこまでいったら脱帽して全部ロボットに任せるかもしれませんね。
ただ、現実的には倫理や法整備など枠組みの問題もあると思うので、30年後の2045年にロボットが人間並み、あるいはそれ以上に進化したとしても、しばらくは「人にやってほしい仕事は人がやる」というところに落ち着くのではないかと考えています。
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