最近、現在の社会の生きづらさや閉塞感を多くの人が感じていると思いますが、大きく考えると社会全体、小さく考えるとひとりひとりの寛容さが足りていないからではないかと感じています。
旧来のムラ社会から個を尊重する現代社会に移り変わって、自分と異なる価値観、あるいはその価値観を持った人に対して、無意識的に遠ざけてしまうのがひとつの要因ではないでしょうか。
寛容さを持つには、自分の持っていない価値観を受け入れる必要があります。具体的には、誰かが真逆の価値観を持っていたとしても、「自分とは違うけどそれもアリかな」という感覚を持てるかどうかということです。
そうは言っても実際は難しいので、受け入れるのは無理でも、無理と思うまでに留めてあからさまに拒否したりDISったりせず、「関わりはしないけどまあ好きにすればいい」といった感じでスルーできることが肝要ではないかと思います。
ところで、コーチングではクライアントの価値観を尊重して、どうありたいか、どうしたいかを明確にして行動に結びつけるお手伝いをします。
クライアントがどんな価値観を持っていても、信じて受け入れることができないと、ただ話を聞くだけでも難しくなってきます。例えば、「この人の話は自分とは合わないので聞きたくない」といったことがあると思いますが、コーチングでこれをやると集中して話を聞くことができず、目も当てられない結果に終わります。
質の高いコーチングを行うには、色々なクライアントの方がいる中で集中して耳を傾ける必要があり、どんなことでも受け入れる度量や覚悟が問われると考えています。そうしたコーチングを行う際の姿勢が、「寛容さとはかくあるべし」と物語っているような感じがして、面白いところだと思っています。
実際には、訓練を重ねてあたかも寛容であるかのように振舞っているだけかもしれない、と思うこともあるけど、できないよりはマシなので日々修練を重ねて、いつの日か身体の芯から寛容さを持てたらと考えています。
話が変わりますが、この頃良く言われている就職の条件「コミュニケーション能力の高い人」といったことも、ひとつの価値観(仕事にはコミュニケーション能力が必要)に縛られている状況を示していると思います。
例えば、コミュニケーションが得意でないけど、技術がすごく高い人がいたとします。話が通じにくいので仕事がやりにくいかもしれませんが、会社あるいは管理者に寛容さがあって、やりにくさを受け入れることによって、持っている技術を存分に発揮して会社に貢献できる、といったことは大いにありうるのではないでしょうか。
近年、多くの企業で管理職の研修にコーチングが取り入れられているのは、こういった背景も踏まえてのことではないかと考えています。コーチングの実践的な訓練が、寛容さを身につけるのに役に立つことは間違いないので、興味が出てきた方は学んでみてはいかがでしょうか。
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