駄散文、はじめます

駄散文
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最近、文章を書くのがかなり億劫になってしまい、更新ペースが落ちています。書けない理由として正直に申し上げると、コーチング関連の記事を書くのが私にとってかなりの苦行だからです。

コーチング関連の記事はプロとしてクオリティの高い内容にしなければいけないと思っており、精度の高い内容になっているか、わかりやすいか、内容に不備がないか、論理的に整合性が取れているかなどを考えながら文章にしています。さらに悪いことに、現在はコーチングで行っているアプローチはほとんど何も考えずにできるため、自分の中では空気の存在のように当たり前になってしまい、書くネタがほとんど思いつきません。

ひとつ言い訳をするならば、これまでに書いたコーチングの記事を読んで頂き、その通りに実践できればプロ並みの実力が身に付く程度の内容にはなっていると思います。したがって本質的にはほぼ完成していると言っていいと思いますが、細かいところのフォローが足りないような気がするようなしないような曖昧な感覚を持ち続けています。

また、昨年からサイトおよびブログのPVが10分の1程度にまで激減していて、それまでは何もしなくても週1回程度の頻度で体験コーチングのお申し込みがありましたが、PVが落ち始めてから徐々に数が減ってきて、現在は月1回あるかないかまで落ちてきてしまいました。漫画「Dr.STONE」に登場する、あさぎりゲンの言葉を借りるなら、ジーマーでバイヤーです。

こうなったら、失ったPVを取り戻すためには四の五の言わずに(Don’t say! 4 or 5!!)書いて書いて書きまくるしかありません。でもなかなか書けないンゴ…。

そんな中、先日一冊の本を読みました。「ライティングの哲学」です。

千葉雅也さんが手を挙げて、それに応じる形で読書猿さん他2人の4人で書くことの悩みについて対談し、対処法を模索するといった内容です。対談→対談後変化したことを示す文8000字×4人分→対談、の流れで一冊の本にまとまっています。

その中で特に気になったのが、千葉雅也さんの対談後の文章で、散文でかなり雑多に書かれています。具体的には文中にである調がですます調になったり、ツイートをそのまま載せたりして、かなりフリーダムに書かれています。見事に執着を手放していて、最初に書いた苦行に対して言うならばまさに「解脱」している様を見て、ああもっと自由に書いていいのかもしれないな、と思いました。

振り返ってみると、昔はもっと楽に書けていたような感じですが、セルフコーチング的に伸び伸びと書けていたときの状況を思い出すと、2004年に始めたmixi(ミクシィ)の日記に遡ることができます。mixiに書いていたのはその日にあった出来事や、飲み食いしたお酒や料理の内容で、論理など微塵も感じられないような、言ってみれば散文かつ駄文でした。

そこで思いついたのは、ブログのカテゴリーを追加して散文の駄文、つまりタイトルの「駄散文」を書こうということでした。コーチングのプロとしての文章は文体はクオリティを今まで通り、あるいは今まで以上のものを書いて、一方で自由な文章を書く場として、駄散文カテゴリーを追加することで、自由に、好きなように、思いつくまま書いていくということです。

駄散文というネーミングが、駄文でいい、散文でいい、文体もダサくていいと三拍子揃った意味を表していて、我ながらよく思いついたと思います。思いが連続したって気にしないぜ!

ということで、これから書ける限りこの駄散文を1000文字~2000文字前後の量で書いていけたらと思います。イヤ、最初にハードルを上げすぎると書けないかもしれないので、1000文字以内でも気にしないで書きます。当面書くことの苦手意識を軽減させるこちらを優先して、コーチング関連はこれまで通り思いついたら書く予定です。

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